The Other Table

かんがえたこと

世界、限界

ついさっきあるコンペでAIがどうのこうのとか見た。よく知らないけどマジックワード的にAIが使われているみたいな感じだと思う。前にもこんな話があったような気がする。

他分野について十分に知らないのにその分野の言葉を援用してしまうみたいなことは建築でよくあると思う。本当にそれ分かっていってるの?みたいなことはよく思う。その言葉ちゃんと意味調べて使ってるの?みたいな。そんな自分はというと、援用という言葉も不安になって今調べた。多分使い方間違ってないと思う。

 

自分は逆にその言葉が正しいのかどうか分からないことが多く、言葉にするのをあきらめてしまうか、ふわっとした言葉でなんとなく伝わればいいやって感じで表現することが多い。語尾を濁しがちなのもこれが一つの原因。

人と話すときはいくつか言葉を出してみるとかもある。例えば、AとBが衝突というか、対立というか、止揚するみたいな、とか「衝突」「対立」「止揚」など言葉を重ねて共通して取れるニュアンスがあれば分かってくれるだろうと思ってしまう。

本当は自分の言いたいことをしっかり理解してそれに一番フィットする言葉を言えたらいいんだろうけど、これは語彙力の問題なのか理解力の問題なのか、それとも言語化の能力なのか。

 

よく空間を言語化する練習とかいうけど、それにも懐疑的になってしまう。その言葉が本当に自分の感じたことを正確に表現できているのか?と思って、自分の中で何度か反芻しては最終的にアウトプットするのをためらってしまう。反芻という言葉も今調べた。微妙に使い方違う気がする。

 

言葉を安易に使うのは誤解を招くし、他分野の言葉を不十分な理解で使うのは失礼に思う。哲学で一時期数学の言葉を使うのが流行ったらしいけど、数学の人から見たらなんだかなあって感じだったと思う。一方で、間違ってても使わないと使えるようにならないとも思うから難しい。英語とか言語を学ぶ時もそうだろう。

でもやっぱり理系だし(?)言葉には厳しく、正確でありたい。言語ってそういうものじゃなくない?って気もするけど。

 

昔の偉い人が、世界の限界は言語の限界って言ってたけど、もしそうだとしたら自分の世界は限界も限界。押し広げていきたい。

ということで、誰が読んでいるのかも分からないこのブログはいい感じに言葉を使う練習になっていると思う。言語化すると思考の整理になるのは間違いないし。

散らかっているという表現が一番しっくりくるこのブログ、文章だが大丈夫だろうか。

 

そして突然の日記。昨日は朝9時とかに起きて朝ご飯を食べた。えらい。しかし二度寝してバイトギリギリに起きた。惜しかった。

昨日の夜寝落ちしてその後寝れず、今日は昼過ぎに起きた。ダメだった。クソ。

潔く今日はそろそろ寝る。あきらめて寝るのが大事。