The Other Table

かんがえたこと

語尾を濁しがち

 つい昨日とか一昨日とか、ある大学の特任准教授が炎上してた。

あれはさすがにダメだ…

 

メンタリストDaigoの動画とかよく見るんだけど、人間は複雑な個々の事象全てに対処できないから、ある程度まとめてラベリングしてしまうそう。

例えば「どうせ女なんて○○だ」みたいなことをいう人は、女の人ひとりひとり違うのにそれを理解しきれずまとめてラベルを貼ってしまうという。こういう人よくいますね。

抽象化するのは理解の助けになる一方で個別の問題をフォローできない。安易にラベリングするのは努力不足、能力不足だろう。ましてや「中国人は~」なんて、誰かも言ってたけど主語が大きすぎる。

でも「安易なラベリングをする人は能力不足だよね」も、もしかしたら安易なラベリングなのかもしれないと思ったりもする(難しい)。


使えない中国人を何人か見て「あ、中国人は使えないんだな」と決めつけてしまう、ラベルを貼ってしまうのは、本能みたいなものなんだと思う。

さいころに犬に噛まれて以来、犬=怖いって思っても仕方ないことだと思う。

そこで大事なのはその本能、直感を理性で修正、コントロールできるか。大人になったら「犬が全部噛むわけでもないんだな」と理解できる。

でも怖いって感情はなくならなくても仕方ないよね。

 

「中国人は使えない人が多いなあ」って思うのはまだ仕方ない。思っちゃうのはやめられないし。しかしそれを事実かのように話してしまったり、事実と混同したり、立場をわきまえずその感情を表明してしまうことが問題なんだと思う。

 

事実と印象の区別をつけるのって実は難しい気がする。ある程度ラベルを貼っていかないと何もできなくなるし。最近いろいろあるから安易に○○は××だ、とか言えないよね。つい「~気がする」とか「思う」とかとりあえず語尾を濁して話してしまう。

急に雑だけど、結局そういうことに配慮が行き届かない、気づけない人を採用しちゃった採用がダメだったような気がするね。