The Other Table

かんがえたこと

2/15,16 Narita-Moscow

2019/2/15~28で淡路、成瀬、大場、悠太とスペイン旅行に行くことになったので、せっかくブログのアカウントも作ったしその日記を書いていく。

若干の時間差はあるが、記録したほうがいいだろう。

今はマドリードに到着した初日の夜で、ほろ酔い気分で眠い目をこすりながらまずはモスクワでの悲劇を思い出しながら書いていこうと思う。

 

2019/2/15 13:20成田初の飛行機に乗った。

飛行機の中ではせんだいデザインリーグに向けて卒制のブラッシュアップ(とはいっても体裁を整える作業が主だが)を進めつつ、飽きたらSAOを見るという感じで機内を過ごした。

一番前の席だったので足を伸ばせるし席を立つ際に気を遣うこともなく、機内食もぼちぼちおいしかったので特に不満もなくむしろ値段の割にはいい感じだな、という気持ちでいた。

 

ロシアMoscowに現地時間2/15 17:35ごろに到着。飛行機を降り空港までバスで移動。予定通りに到着し一安心した。

しかし、passport controlに人が二人しかおらず、荷物検査もゲートが二つしかなく大混雑。列が作られることもなくその場はまるで有名人が来日したかのようなパニック状態。時間には多少余裕があると思ったが、自分たちより早い飛行機に乗る人たちが割り込んできたり、空港の案内がかなり分かりにくかったりで時間を食われた。

ゲートをやっと抜けられたと思うともう19:00ごろになっていた。

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パソコンの充電がなく、機内で卒制のブラッシュアップができないのは厳しいと思い、パソコンの充電ができる場所を探し、少しでもと思い充電をした。

その後搭乗ゲートの前まで行き、そこにあった充電スポットでぎりぎりまで粘って充電しようと考えていたところで悲劇が起きた。ゲートを目の前にして搭乗が終了してしまったのである。飛行機までバスで移動だったのでバスが出発してしまった以上できることは何もなく、ゲートのおばさんにとりあえずticket counterまで行くように言われた。

この時はまだぎりぎりで乗れると思い、カウンターを必死で探し走り回っていた。

しかし、薄々気づいてはいたが、本来乗るはずの飛行機(19:00搭乗開始、19:40発)にはもう乗れないことが分かり、代わりの飛行機を手配してもらうことになった。

 

ここからが、人生で最も長かったといっても過言ではない24時間の戦いであった。

 

ゲートの混雑のせいで、トランジットに失敗した人は一定数いたようで、チケットカウンターは大混雑。その上カウンターには人が二人しかおらず、全然順番が回ってこなかった。

カウンターの女性に代わりのチケットは翌日朝の1000€のチケットだと言われ絶望した直後、チケットの交換をフリーでできるかもしれないと言われもう一方のカウンターに移動した。

しかし、カウンターを回っているうちに元々対応してくれていた女性が帰ってしまい、背が高いお兄さんが対応してくれることになった。そのお兄さんはフリーでの交換はできず、新しくチケットを買わなければならないと言ってきた。ちょうど24時間後の同じ時間(2/16の19:40発)が170€くらい(22500円とかだった気がする)のフライトを提案された。

カウンターの待ち時間がもう2時間ほどで、かなり疲弊していたので、2万ならもういいか、と思いそのチケットを買い、カウンターを後にした。

 

チケットを購入したはいいものの、空港のwifiになかなかアクセスできず、悠太たちに連絡するためにほかのwifiを探し回った。

探せど探せどwifiは見つからず、明日のフライトまで一人でどうやって過ごせばいいか途方に暮れていた。

そんな時、同じ状況の日本人が何人か集まっているのを見かけた。その人たちはチケットカウンターで並んでいるときにもいた人たちだった。その中にはツアーの案内をしている人がいて、その人を中心に今後どうするかを話している様子だった。一人でカウンターに並んでいる時、何度か声をかけてみようかと思っていたが、その勇気も元気もなかったので、心細いまま黙って並んでいた。

しかし、チケットを買い次のフライトまであまりにも時間があったため、話し相手が欲しいと思いその人たちに声をかけた。一人はツアーのガイドさん、二人は女子大生(安藤さんと堀川さん)、一人は自分と同じで寂しくて声をかけたお兄さん(ゆたかさん、幼稚園の先生)だった。

ガイドさんの提案で払い戻しやフリーのチケットの提供を交渉することになった。

 

話を聞くと女子大生の二人は自分と全く同じ飛行機に乗る予定で、マドリードを目指しているようだった。お兄さんは弾丸旅行でベルリンに行くとのこと。

チケットの交渉はカウンターの混雑のせいでなかなか相手にされず、やっと話ができると思ったらそんなことはできないとすぐに突き返されてしまった。

ほかの手をいろいろ試し、aeroflotの本部みたいなところに行って交渉を試みるも失敗。結局女子大生の二人も自分と同じで2万ちょっと払って24時間後のチケットを購入した。

すべてが終わったころにはもう2/16の1:00くらいで、心も体も本当に疲れ切っていた。

お兄さんは2/16の7:40発だったので、カフェでちょっとしたパンを食べてから、空港のベンチで3時間ほど仮眠をとった。

 

起きてから再びwifiを探す旅に出ると、bud burgerという店であっさりwifiが見つかった。ほかの店の店員やその店のほかの店員はwifiは空港のものしかないと言っていたのに、なんなんだという気持ちだった。

ひとまずwifiがみつかったので悠太たちに連絡を入れ、一息ついてゆたかさんを送り出した後、女子大生二人と残り12時間ほどを過ごすことになった。

とりあえず仮眠し、昼ご飯を食べることになった。これだけの時間をロシアのモスクワで過ごすのだから、ロシアらしいものを食べようということでボルシチを食べることにした。

あと12時間ほど待つとはいえ、チケットをすでに購入し、やっとゆっくりご飯が食べられるということで、おいしくご飯を食べることができた。

その後はbud burgerで過ごし、歳が近いこともあり(同じ大学4年生)安藤さん(眼鏡の方)と堀川さんとしばらく話して過ごした。

 

二人は中学の同級生で、安藤さんは心理学を、堀川さんは社会学を勉強しているといっていて、二人ともぼちぼちまじめな話ができて驚いた。

どちらも本が好きでインドア派であるが、卒業旅行で思い切って海外に行こうということになったらしいが、この不運である。

マドリードで予約していた諸々の予定はすべてダメになり、マドリード観光はできなくなってしまったらしい。

自分は一日はマドリードで過ごせたため、本当にご愁傷様ですという気持ちだった。

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お互い卒業旅行で不運な目にあったので、ちょっと友情が芽生えた、と思う。

雑談しながら卒制ブラッシュアップをしながらついに飛行機のフライトの時間になり、3人で1時間も前にゲート前へ行き、無事に飛行機に乗ることができた。

さすがに疲労困憊過ぎたので飛行機ではほとんど寝てしまった。

 

無事に(?)マドリードに着き、ロシアのキリル文字とかいう宇宙語から解放された喜びもつかの間、自分はバスで、二人はタクシーで移動するため、そこで二人と別れた。

バスで移動した後は道に少し迷ったり、近くまで来ても宿がよくわからないビルの3階らへんとかでなかなか苦労したが、たまたま宿のビルに住んでいる人(正確には彼氏が宿のビルに住んでいる女性)に声をかけたため、何とか宿までたどり着くことができた。

悠太が宿の扉を開けてくれた時の安心感はかなりのものだった。

 

チケットの交渉や、wifi探しとかで英語をかなり(かたことながら)使ってみたが、人間追いつめられると色々と頑張れるな、と思った。

そして充電とwifiは食欲にも勝る。これがないと生きていけないと思った。

旅の初日からトランジット失敗という大失態を犯したが、なんとかかんとか宿にたどり着き一安心。

空港で知り合ったガイドさん、ゆたかさん、安藤さん、堀川さんには本当に感謝しかない。一人だったら心がまじで死んでた。

世の中優しい人もいるというか、助け合いだなあと月並みな感想を心から思った。

終わってしまえばいい勉強になったな、みたいなことも言えるけど人生のなかでかなりのピンチだったので、それはそれは恐ろしい話。

無事にたどり着けて本当に良かった。助けてくれた人、本当にありがとうございました。

明日からはもう少し楽しい旅の話を書こう。

今これを書いているのはマドリード観光初日(今日でマドリードは終わりだが)を終えた夜。しかし眠いし疲れたので今日の感想は明日書くことにする。