The Other Table

かんがえたこと

氷菓

鬱日記。何も楽しいことがない。

自分はからっぽ。見つめるほど何もないと感じる。

 

趣味もないし、金もないし特技もない。

家にいることを強いられ、人間関係を剥され、何も残っていない。

その辺の人の代わりくらいはできるかもしれませんね。

 

アイデンティティクライシスってやつだ。いつまでやってるんだほんとに。

人間一人では生きていけませんね。

 

時間が過ぎるのが遅い。日が経つのは早い。

ただ生きてるだけでつまらない。

かといってなんもできないんだよなあ。

 

つらいbotと化してしまった。誰か傷の舐めあいしてほしい。

氷菓、面白いので見てください。

a(nti)pathy

母親に頼まれてたことを忘れてた。嫌味を言われた。久々に腹が立った。

そこで怒っても無駄なので飲み込んだ。

 

いや、忘れてたのは自分が悪いんだけど、わざと忘れてるわけじゃないし。

文字に起こすと開き直りにしか見えんな。

でもやっぱ、誰かが失敗して、それがわざとだったり悪意があったりすることなんてほとんどないじゃん。出来ない人だってできないなりに生きてんだよ!許せ!

 

特に自分はだらしない人間なのでやばくならない限り動けない。少しずつやばくなる前に動く練習をしているくらいだ。

なんで人を許せないんだろう。まじうざ。

 

と思ったところで、自分が母親を許せていないということに気づいた。

こういうのが許せない人もいるんだな、こういう時に嫌味を言ってしまう人もいるんだな、仕方ないな、俺はそれすらも許してやろう。

と考えるとかなり怒りが鎮まった。許すというか諦めに近いが。というか諦めだなこれは。

 

親なんて、というか人間関係はそういうものだ。許せるところも許せないところもあって、まあそれでもいいわって思ったら一緒にいる。

遅刻しまくる友達とか、異常にケチな友達とかも、そこはうぜえなって思っても別に嫌いにならない。それでも無理だなって思う人は距離を置く。でもそれもそいつが悪いんじゃなく合わないから仕方ない。距離を置くほかない。

 

 

親と合わないな、と思う。

two weeks ago

「よく考えたら、いやよく考えなくても今の状況はめったにあることではなくて、軽率で能天気ながら今考えていることや感じたことは残しておいた方がいい、文字に起こした方がいいと思った。」(20/04/07)

と思って2週間経った。2週間前に適当に書いたメモ書きにコメントしていく感じに書いていく。メモ書きは鍵括弧にする。

 

「人と会うこと、リアルの世界大事(改めて感じた)

何となく友達と話す、偶然性がクリエイティブを産む、今更ではあるが

業務の効率化と反比例?コスパ?業種により偶然性は必要、不必要があるような」

最近スタジオで話していたんだけど、例えば飲み会でグラスの当たって鳴る、飲み物をこぼす、2か所で話題が出ているとか、いろいろなことが同時多発的に起こって重なるのがリアルだって話だった。VRでは表情とかしぐさ含めてやっぱ情報量が物理空間にどうしても追いつけないよねって感じ。hrnさん曰くデジタル空間は複数のことが同時に起こる状況があまりないとか。

何となく人と話すことが必要なのは割ともう自明視されている気がする。研究室ではゼミの時に話すほどではないけど相談したいことが話せる場所がないのはつらいねって話が出て、zoomランチ会でもやる?みたいになってた。

業務の効率化?これは何言ってるのか分からん、忘れた。そうかもねって感じだ。

 

「偶然性が不必要な業態の会社が東京に集まる必要があるのか?

コロナ以前から通勤電車は苦痛、ストレス」

社会人になったことないから分からんけど、zoomのテレワークで意外と働けてるって人はもう東京に行かなくていいよね。たまに集まるとかなら混んでる東京じゃなくてもいい気がする。

まじで通勤電車はゴミ。通学のストレスがなくなってQOLは本当に上がったと思う。人と会えないのはつらいけどそれに匹敵する生きやすさ。コロナ後も座学はリモートでいい。

 

「物流、アマゾン、コンビニはもはや社会的インフラ

偶然性は不必要(上記)な業態

なぜ価値が置かれない?

P2P的な(あってる?)ものの流れ、個々が直接つながる都市構造、モデル」

物流は神。運送業の方々とか、コンビニの人まじ感謝。こんな異常事態でも生活できてるのはこの人たちのおかげ。もっと金取ってもらってもいい。 

確かに偶然性は不必要な一方、物理的なコミュニケーション(?)が必要な仕事。

Lineでコミュニケーションの形が変わったと思うけど、zoomで今の状況でまた変わったよね。コロナ収まったら反動でface to faceがめっちゃ推されるんだろうか。

 

リテラシー、情報収集

ネットリテラシーのない高齢者が不利、危機感無く出歩く

スマホとか使えない世代はリアルにしかコミュニティを見出せないから仕方ない

リモートできるのはリテラシー、能力のある人、そのような職の人

格差が生まれる、格差が広がるのでは」

まじでこれ。なんで分からんの?とも思うけど、これは小学生が積分理解できないのと同じだと思ってる。育った環境、背景、教育が違う。ネットリテラシーは環境が必要。なかなか難しい。

今の状況って今自分が持ってるリソースで延命してる感覚がある。まじで自室ないのディスアド過ぎる。お金もないし。たまたまバイト先がリモート授業してる塾だったからまだ収入が途絶えないけど、これでバイトできない状況になってたらと思うと恐怖。怖すぎる。

まあこれも小さい話ではあるんだろう。周りにはあまりいないけれど、リモートできない人はリスクが高い状態で働かざるを得ない。サービス業も無理だし。ホワイトカラーが生き残るんだなあ。

 

「政治について

マスク2枚はきちんと説明がないと意図が読めない

メディアはクソ

Twitterはメタ情報も流れてきやすいから良い(自分のTLだけ?これもリテラシーの問題?)

対策自体はうまくいってそう?

極論、今本気で全員が外出自粛をきちんとしたら収まるのでは?」

メモだから政治についてとか書いてる。許してほしい。詳しくないです。

マスク2枚は、やっぱ分からん。誰かが国は保証とか色々頑張ってるしそういうの見ないでマスクだけ叩くやつがいるけどそれは違うみたいなこと言ってたけど、それにしても分からん。意図が謎。そういやWHOが布マスクだめって言ってるみたいな話はデマなのかな?分からんからとりあえず使わないけど。

メディアはクソ。でも難しいんだろうけど。小池都知事がヒカキンとコラボしてる一方で安倍さんが星野源で炎上。確かに若者的には前者が印象いいんだろうけど、ポピュリズム的にも見えるという意見もあった。それにしても安倍さんの方はどう考えてもメリットなさそうと思った。あれで誰が喜ぶんだろう。これも意図が分からん。

安倍さんもうやめたいから支持率落としてる説が好き。それなら納得。

安倍さんも頑張ってるのは分かるけど、伝わらないし、伝わらないならだめだと思うし。

 

最近Twitterを見るのをやめました。先週くらいから。Twitterは情報収集的には結構よかったと思う。もちろんデマも流れてきたりする。UKの首相が亡くなったとかいうフェイクニュースが流れてきたけど、これデマっぽくね?というツイートもしっかり流れてきた。どんな意見にも噛みつくやつがいてうざいな~と思う一方、自由な分だけ相対的だなと思う。ユーザー層的に偏りはもちろんあるだろうけど、そこらへん意識できてればいいと思う。

関係ない話だけど、Twitter見るのやめたのは自己肯定感が下がるため。普通に他の人たちみんな自分より自粛生活エンジョイしてるわ。クソ。って思って見るのやめた。

 

みんな自粛したら収まる。多分。まじみんな自粛。

 

「教育格差がやばい

東大はすごい、頑張ってる

うちの塾はオンライン授業、しかし機材、環境、授業料が払えることが条件(当たり前)

子どもの相手ができない家庭はやばい」

ずっと家にいて子どもが勉強なんかできるわけない。そこで時間管理してあげたり何かしらケアしてあげられる家庭の子と、それができない家庭の子で格差は広がる。かわいそう。

東大すごいと思う。久々に東大すげーってなった。オンライン授業の速さ、サーバー重いクレーム数日で対応、wifiルーター配布とか。対応の速さが鬼。先生たちも慣れない環境への対応の姿勢を取るのが早い。ビビる。

授業料返せって言ってる人がいるのも分からんでもないけど、この状況で授業ってむしろめちゃくちゃ価値が高いと思うんだけど。他の大学は授業遅れてるとこが多いし。授業提供するコストも普段より高くなってるはずなのに金額変わらないのはむしろ感謝ではという気持ち。まあ提供されるクオリティが下がるのもそうなんだけど。

野菜が不作だったら痩せた野菜でも高く売れるのと同じやろって感じ。高く売れるよね?

 

「プライバシーがない

自分の部屋がない

環境が違う

住環境、建築を作る人としての差、違い(良し悪しではないだろう)

空間、コミュニティに対する感覚の差

乱暴に作り優しくしていくということでは?→パラダイムシフト、スペキュラティブデザイン」

普通にこれがしんどい。家の居心地が良くないから大学に居場所を求めていたのに、それがなくなってしまった。前述したように、持っているリソースの差をダイレクトに感じる。

まあでも豊かな生活をした人が作る豊かな住空間と、そうじゃない人が作る住空間には当然違いが出るわけで、違いは価値になりうると考えるしかない。

むしろ、そういう価値が求められるようになるのが価値観の転換、パラダイムシフトなのでは?

という感じに考えていた気がする。本当か?

 

 

2週間前の自分との対談になりました。とにかく自室がないことでzoomやりづらすぎてしんどいぞ。

最近はちょっとずつ朝起きれるようになってきて、英語の勉強もぼちぼちできてるので頑張ってる。料理もレパートリー増えてきて楽しめてる。洗い物めんどいし時間かかるけど。

でもやっぱ人と話せないのがしんどすぎるな~。心荒む。ゴミ。

ずっと家にいると親との生活時間、生活習慣の差が本当に響く。ストレスになる。

人と暮らすのは難しいね。

 

前回書いた内容とかなり被っとるやんけ。反芻ということで。

自宅警備

コロナウイルス云々で外出自粛要請とか、在宅・リモートワークが推奨とかなってるけど、これってかなり格差が広がるというか、できる人とできない人が出てくるよね。格差が広がるとか今更って感じだけど。

 

誰かも言ってたけど、当然ではあるけど、在宅でできない仕事がある。ライブとかのエンタメ系とか、観光業とかも打撃を受けてるだろうけど、やっぱ非正規労働者のあたりの方が気になるというか心配。補償の受けられやすさが違うと思う。

 

コンビニ・飲食店の店員とかもはや相当な社会インフラの一部だと思うのに、潜在的というか、議論の対象にならないよね。まあそうだろうって感じだけど。

完全にイメージだけど、低賃金労働の方がそういう、大事だけど軽視されてるみたいなパターンが多そう。そういう人たちの受ける打撃が、目に見えなくて十分にフォローされないような気がする。

 

リモートで何とかなる人ってやっぱホワイトカラー的な、少しインテリな人だと思うし、企業の対応がスピーディなところにいるわけじゃん。社会学でちょっと聞いたことある、モビリティ(可動性)がある「旅行者」が対応できるってことだよね(あってるかな…?)。

 

前に社会学の授業で習ったのは、グローバル化でどこ行っても自分のスキルで働ける強い人が「旅行者」と呼ばれてどの都市でも歓迎されるみたいな。逆に、その土地に縛られる人もいて、実は結構そういう人が多いみたいな。めっちゃざっくりだけど。

ちなみにその中間に「放浪者」っていうのがいて、出稼ぎとか移民とか、旅行者と違ってそんなスキルもなくお金を落とすわけでもないから都市から歓迎もそんなされないみたいな。むしろ縛られる土地がない人って感じかな?忘れた。

 

今回の騒動はまさにこの旅行者は何とかなるけど、土地に縛られてる人や放浪者が厳しいって感じがする。

適当に書いたけど本当にあってるのか?

 

 

一方個人的には、在宅は無理。美しいほどに昼夜逆転した。

これだって、家の作業スペースが快適だったり、書斎あったり、生活と仕事の場を家で切り分けられる人の方が有利じゃねえか!って思った。

もちろん気持ちの面や普段の働き方も大きいんだろうけど、家の違いってそれこそ収入とダイレクトにつながってるにも関わらず、外で働いてたら表に出てこないところだろうと思う。

 

要するに、一人暮らしがしたいと思いました。

一人暮らしずるくね?実家でオンライン飲みすんのなかなかハードル高いぞ?電話も結構厳しいぞ?ふざけんなよ?

あーこれだ、結局一人暮らしがしたいという不満だ。一人暮らしがしたいです。

大学生スローライフ送りたい。

 

そういえば自分の周りでオンライン飲みとかやってる人東大生多い気がするし、やっぱ新しいものに順応できる人が生き残るんやなあって感じ。当たり前だけど。

早く飲みに行きたいね。

日暮らし、机にむかひて

また昼に起きてしまった。

今日は昼に友達と会うため、10時くらいに起きようと思っていたが、二度寝を繰り返す。

12時半に友達から電話がきて「今起きた?」と一言。浪人の時の友達だから懐が深く許してくれた。ありがとう。ごめんなさい。

12時半の約束だったのに2時になってしまった。まじですまん。

 

しかし非常に申し訳ないが、1時に家を出るというのは自分的にはまあまあ上出来。天気も良く、気分は悪くない。すまん友達。

 

 

 

最近自分に感情が芽生えてきた(?)。主に負の感情。イライラとか。

 

表に出るほどではないけど「くそっ」って思うことがたまにある。

大学に入ってから塾講師のバイトで子どもを教えながら仏の心を手に入れつつあった(正直やばい生徒が多く、そのおかげで全てを許せるようになった)んだけど、以前に比べ感情が出ている。前だったら「うん、そういうことあるよね、どんまい」って感じだったんだけど。自分に言い聞かせるのではなく自発的に(勝手に)そう思えていた。

 

でもそう思ってしまうのはやめられないしコントロールできない。解脱への道は険しい。

とはいえそういう感情があるのも俗世への執着(?)というか、その対象への執着があるからこそ生まれるというものでもあると思えるし、それはそれでいいのかもしれない。

うまく自分を許せた。100pt。

でもやっぱ最初から全てを許してえ〜。負の感情消してえ。目標は仏。

 

 

 

トラックボールのマウスを買いました。そんなに手首疲れないけど、たまーに夜通しパソコン触ってるとちょっと疲れるので購入。あとかっこいいと思ったから。

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logicoolのMX ERGO。12000円くらい。高いだけあって高級感ある。重くて安定感あって良い。

ちょっと慣れてきたけどまだ慣れない。でも買い換えた甲斐はありそう。

 

前のマウスはlogicool G300だったんだけど、それもめっちゃよかった。カスタムできるボタン6個あって押し心地も良かったし。MX ERGOはボタン一応あるけど押す感じがあんまりで使ってない。あと右側にボタン欲しかった。

 

でも使い勝手以上にこれに触りたいから作業するみたいなとこあるよね。新しい靴買ったから出かけたいみたいな。めっちゃ自慢したいけど誰にも会わないのでここで成仏。

 

何も成し遂げない日々が残念なので下らなくともブログを書く。しかし下らないな。

僕はここに似合っているか?

鬱期です。非常にダメです。

 

先日友達と飲みに行き、自己肯定感がどうのこうのみたいな話になった。

その友人は自己肯定感高めで、他の人も概ねそんな感じだった。一人低めで拗らせ気味なやつがいたくらい。もちろん自分は低めなつもりなんだが、そうも見えないっぽい。

 

以前授業で北海道にフィールドワークに行ったときに、ご飯をみんなで作って食べるみたいなのがあった。朝ごはんの時に、卵があったから目玉焼きを焼こうと思ったんだけど、自分は他のやつもやってたからある友達に目玉焼きを頼んだ。するとどうだろうか。油を引かずに卵を落とし始めたのだ。

なぜこんな話をしたかというと、自分がとてもショックを受けたからだ。下手すぎとか、こんなこともできないのか、ということではない。自分的には目玉焼きはできて当たり前。人生でリアルに100回、200回と目玉焼きを焼いてきた。なんの自慢だ。

そこで気づいてしまった。彼は目玉焼きを焼く必要がない環境で育ってきたのだ。お母さんが料理を作ってくれる家庭ということだ。

 

うちは母子家庭で、しかも母親が料理下手で(最近になってやっと気づいた、うちの母親は料理がうまくない。)自分が朝ごはんを作ることもよくあることだった。

そいつが目玉焼きをうまく焼けなかったことを一瞬煽ったが、すぐに煽れなくなった。

 

先日の友人との飲みでも、就活の話からあいつの親が商社らしいとか、うちは○○社だよとかいう話になった。有名な名前が続々と出て衝撃。

いや、東大ってそういうところっていうのはわかってたはずなんだけど、最近それをひしひしと感じる。

 

最近特に塾講のバイトがストレスで、なんでこんなに働かないといけないんだという気持ちになる。あーあ、って感じ。

具体的な何かがあるわけでもなく、なんとなく世界の違いを感じる。

 

その飲み会で「親知らずは小さいうちに抜いておいてほしい」という話になった。

親がその辺早めに対策してないと、大人になってから激痛を伴う治療を受けなければならない。いや、子供でも痛いんだろうけど、正直子供のころなんて自我もないし、痛かった記憶は簡単に風化する。程度も違うかもしれない。

そんなのは自分ではどうしようもない。歯並びとかマジで小さいころに直しておいてくれよ。無理ゲーだわ。

これはあくまで例えの話。分かりやすい話だとピアノできるやつがいたり、帰国だったり、プール習ってたり。

自分には何もない。また趣味なしの話になるけど、もう少し広い話で、何も知らない。うまく言えないけど足りないと感じる。

 

親のせいにするなという気持ちもあるし、したくないとも思う。結構何とかなることが多いと思うし。でも、すべて何とかできるほど自分は強くなかった。

 

東大というハイソサエティに間違って紛れ込んでしまったな、と最近思う。

頑張ってるとも思うんだけど。

 

 

よくある話だが、言い方悪く言うと、その辺のヤンキーの方が幸せだろうと思う。

下手に知ってしまったなあ。普通の幸せが恋しい。普通の幸せってなんだろうね。

 

それでももう戻ることはできない。退路は断たれている。知ったことはなかなか忘れることができない。忘れたいこと無限。

苦しみながらどこともなく登っていくしかないんだな、と諦めるしかない。

 

ambivalent world

今日は11時に起きた。卵を焼いてご飯を食べた。

午前中に起きてご飯を食べるのは久しぶりで、すごい自己肯定感が得られた。

朝目が覚めて「あ、起きないと」という気持ちになり、ちょっと葛藤した末に体を起こすことができた。久々の午前起床。感動。

 

その後だらだらしてから後輩に差し入れに行く。意外と迷うな。

人にものをあげるって難しい。

まあ一応喜んでもらった。はず。後輩みんないい感じに卒制進められてて感動。尊敬。みんなえらい。

 

その後はバイト飲みがあったので駅に向かっていると、友達とたまたま遭遇。意識高い系の友達。スーパー尊敬できる人の一人。

軽く近況報告してすぐ別れたけどとても勇気づけられた。

 

そしてバイト飲み。楽しかった。自分が一番年上で、逆に気を使ってしまう。自分は後輩の方が得意で楽だと思った。

社会人で稼いでたらお金も出してあげられるのにって感じ。

バイトの後輩の一人がいつもオールに巻き込んでくるが今日は回避。久々にこういう流れから離脱した。感動。自分えらい。

 

あと朝と夜の移動時間で本を読んだ。とてもえらい。

 

今日は小さな喜び(?)がいくつかあった。いい日。自分をほめたい。

 

ちょっと短いけどブログを締めようかなと思っていた矢先に緊急地震速報。めちゃくちゃビビった。

しかし最近なんとなく首都直下地震とかあったらそれはそれでいいかもしれないという気持ちが出てきてしまう。

ゆーて死なないやろ、って思うし、死んでもまあ、って思うし。

20世紀の人がノストラダムスとかで盛り上がっていたのがなんとなくわかる気がする。

全ての与条件がリセットされてやり直せるような気がする。自分はそれが良いとと思っているのだろうか。

そこからみんなで立ち直るのも楽しいかもとか。今より非日常で恐怖の中にも楽しさみたいなのがあるかもとか。

いや、めちゃくちゃ地震怖いんだけどね。ちょっとの揺れでもすごく怖い。それこそ2011以来ずっと怖い。

でも、なんとなくそういうのを望んでしまう自分がいるのは日常に閉塞感とか絶望感を感じているのかもしれない(厨二病)。

やはり最近は自暴自棄で嫉妬深くなっているのだろう。自分の方が失うものが少なく周りの人の方が失うものが多いだろうとか。多分。

でも人は死なないでほしい。でも以前にあった関西の地震とか本当に亡くなった人少なかったし(逆にすごくビビった、人間はここまで来たのかと)そろそろほとんど人的被害ないんじゃないか。てか無くあってほしい。

 でも破壊衝動みたいなものがやはりある気がする。逆接を連続で使ってしまうのはそれだけアンビバレントということ。

 

あ、乃木坂ではなく化物語でこの言葉は覚えました。神原の話めっちゃいいよね。

 

今日あった小さな喜び忘れてしまった。寝る。