The Other Table

かんがえたこと

不満足な人より満足な豚

この前バイト先の人と飲んで面白い話を聞いた。

やる気が出て体に無害な薬を脳に自由に注入できるとしたらやる?

やる気が低下したタイミングでその薬を自動的に注入してくれるシステムがあったらやる?

果たしてその薬ででたやる気はその人のやる気と言えるのか?そこに自由意思はあるのか?

自分はぜひお願いしたいと思う。だってやる気のない状態の自分は嫌いだから。誰だって元気な自分の方が良くない?

しかし、そのシステムについて自分が知らない状態でやってほしい。そうすれば主観的にはただひたすらやる気がみなぎってるだけ。自分はやる気に満ちた人間だと思ったまま。知らぬが仏。

他のスタッフの人も同意。幸せは主観だからそれでいいじゃん。わかる。

 

例えば奴隷がいたとして、労働に満足して家族も養えていればその人は幸せなんじゃないかと思う。

毎日叙々苑食ってて牛角はまずいとか言う人はむしろ不幸せだと思う。

自分は自己実現とか社会貢献とかそういうものを食って育ってきてしまった気がする。貧乏なのに無理して叙々苑食ってたかもしれない。ちなみに食べたことないです。

まあつまり贅沢は敵。牛角行こ。安安行こ。

 

卑屈が何周もして周りの頑張ってる人を素直に応援できなくなってきてしまった。ほんとにすまん。頑張ってほしい。

社会に取り残された感じがして寂しいだけなんだなあ。

 

ホットアイマスクをして寝る。今日はスタジオのエスキスが史上最悪で思い出したくないが、学校に行ったのでえらかった。