The Other Table

かんがえたこと

何が面白いのか

昨日、超メンブレして何もできなかった。

ご飯を作るのも面倒だったので、外に出て買いに行った。

商店街を歩いているといい感じの飲み屋がランチを色々売っていた。

あさりの炊き込みご飯があったので、それを見ていると「餃子がそろそろ焼けますよ」と声をかけられた。

 

非常に些細なやり取りだったが、かなり元気が出た。おいしそうだなと思って足を止め、声をかけられた時、ああこれが街を歩いて何かと出会うということなんだなと感じた。

些末な出来事だったが、そう感じた。かなり衝撃を受け、メンブレが少し和らいだ。

 

餃子は買わず、炊き込みご飯を買って帰った。

 

 

閑話休題

 

研究室で自己紹介をすることになった。所属して半年が過ぎ、ようやく。

やりたい訳でもなければやりたくない訳でもない、でもみんなやってたらしいのに自分はやってないしやっておきたい感はあるみたいな感じだった。

 

まあポートフォリオとか作る中で自分を顧みることはあるのだが、自分の興味があるものみたいなの言えたらいいんだろうなと思う。前から考えている。

 

同期にたまに話してた気がするんだけど、分からないものが好きなんだろと思う。

バイト先でyoutubeの動画の編集をしており、どうしたら動画が伸びるサムネイルになるのかみたいなことを考えたりしている。

まあ面白いんだけど超面白くはなくて、いろんなパターンを試して何が変数になっているのか、その変数がどうなったら数字が伸びるのかみたいなのは面白いし、数字が伸びたらおおーってなるんだけど、その手続き自体は結構よくあるパターンなんじゃないかと最近思った。

ああ、意外とこういうのが伸びるのね、みたいな予想外のこととかあるから分からないものだとも言えるが(分かってたら爆伸びさせられるはずだし)、この試行錯誤のパターンを繰り返し、PDCAを回し、という作業で伸びていくんだろうなということは分かる。

なんか、そんなのある程度頭いい人がやり込めば誰でもできそうじゃね?と思ってしまった。理性的に考えていけば自ずとそれぞれの人が同じ方法に行き着くのではないだろうか。

 

建築のスタディとかは、その試行錯誤の可能性が無限だから面白いのかなと思う一方で、無限とはいえ既視感があるものが多いなと思う。それに試行錯誤を繰り返す手続きは広告のそれと同じではないか。

その分からない度合いが深いほどいいのだろうか。分からん。

 

これも誰かに話したけど、サグラダファミリアが好きで、点群とかweird realityとか情報量の多さみたいなのに面白さを感じるのも、理解の範疇を超えているからだと思う。

 

あとなんとなく思うのは、関係性を考えていく的な考え方より内在的なフェティシズムみたいな方が面白い。より分からないから。

 

 

以上が発表前の感想。以下発表後。

 

先生方には一貫してていいねと言われた。ある地域が他の場所と違った特性を帯びて、そこに魅力を感じ、周囲と接続させたり切断させたりしているとのこと。

kbtさんに下町出身だから大規模再開発に抵抗あって共感できるみたいなことを言われたけど、やっぱそういう気持ちがあるのかなあと思った。

 

思った以上に卒論と卒制の接続の話をされ、自分が思っているよりやっていることがつながっているのかもしれないと思った。確かにと思う一方で、そんなになのかとも思った。

 

 

そして6月になった。

5/11とかに書いてたのに。めんどくさくなっちゃうんだな。

気付けばスタジオ課題も結局再開発について扱っている。導かれている。

 

とりあえず途中だけど投稿してしまおう…。